「パラ陸上が特別じゃなくなる日まで走り続けたい」 湯口英理菜選手が挑む壁
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「パラ陸上が特別じゃなくなる日まで走り続けたい」 湯口英理菜選手が挑む壁

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助走に入る前、湯口選手はその場で足踏みのような動きをする。これは単にリズムを刻んでいるだけではない。身体を動かしていないとバランスを崩し、立ち続けていられないのだ。

「両足が競技用義足だと、最初は立つことすら難しいんです」

日本でただ一人しかいないT61クラス(両足大腿義足)のアスリート。その戦いの歴史を尋ねた。

人目を気にした少女時代

湯口選手が両足を手術したのは3歳のとき。足が内側を向く内反足で生まれ、将来も歩ける見込みがないことがわかると、大腿骨から下を切断することになった。物心がつく前の処置により義足を自然に受け入れることはできたが、小学校高学年になるにつれて次第に「人と違う自分」を恥ずかしいと思うようになる。

「足を見られたくないからスカートを履けないとか。やろうと思えば絶対できるんですけど、やらない理由を全部義足のせいにしていました」

陸上に出会い、「走る」歓びを知る

中学1年、そんな湯口選手に転機が訪れる。義足ユーザーのための陸上クラブがあることを知った。「スタートラインTokyo」。興味本位で無料の練習会に参加し、はじめて競技用義足をつけてみた。

「全然立てなくて怖かったですね。でも、そのうちに歩けるようになって、早歩きができるようになって、だんだん身体で風を感じるようになって。ああ、これが『走る』ってことなんだな、って思いました」

走ることは湯口選手の心にも変化をもたらした。当初、独特な形をしている競技用義足を見られるのが嫌で、友人にも陸上をやっていることは言えなかった。しかし、走れるようになり記録を伸ばすという目標ができると、恥ずかしいなんて気にしている場合ではなくなった。高校2年で100メートルを完走し、パラリンピックを夢みる頃には、かつて自分を悩ませた自意識は汗とともに消えていた。

走幅跳への挑戦

だが、ようやくスタートラインに立った陸上人生に「壁」が現れる。競技人口の少なさを理由に、パラリンピックから湯口選手が目指していたT61クラスの女子100メートル種目がなくなったのだ。今後パラリンピックを目指すなら、自分より障がいが軽いクラスとの混合で実施される「走幅跳」しかない。

高校卒業後、日本体育大学に進学した湯口選手は、走幅跳に挑戦する覚悟を決める。それは我々が思うほど簡単なことではない。「跳ぶ」のは「走る」以上に難易度が高い。踏切板から砂場までの2メートル。この2メートルを超えられない日々が続く。完全に跳ぶ感覚をつかむまでに1年以上かかった。

パラスポーツを普通に楽しめる未来へ

現在、パリパラリンピックを目指して練習に励んでいる湯口選手。走幅跳の記録は3メートル43センチ(T61クラスのアジア新記録)まで伸びたが、3クラス混合で行われる同種目で日本代表になるには依然厳しい。しかし、クラスの不利は言い訳にはできない。なぜなら、この3クラス混合の世界トップは自分と同じT61の選手だからだ。

「世界と自分はまだ2mもの差があります。大変な挑戦ですが、私が頑張る姿を見て、同じ障がいをもった人たちが、自分も何かできるんじゃないかとか、明るい気持ちになってもらえたらいいなと思います」

自分の活躍が、誰もが自由にスポーツを楽しめる社会への一助になればー。

かつて義足であることを隠し、「自分にはできない」と下を向いていた少女はもうどこにもいなかった。

text by Taku Tsuboi(sportswriter)
photographs by Yasushi Mori

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