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「バスケットボールはすべてを与えてくれた。僕は人々の人生を変えたい」 ジョエル・エンビード

NBAフィラデルフィア・セブンティシクサーズに所属するジョエル・エンビード選手は、身長213センチ、体重113キロの体格に恵まれたカメルーン出身のビッグマンで、3年連続でリーグのオールスターにも選出されています。 

2018年10月にアンダーアーマーと5年契約を締結。そして、初のシグネチャーシューズとなる「UAエンビード1」が、9月19日にアンダーアーマーの直営店及び公式サイトにて発売されます。​

​ 今回は、エンビード選手がアンダーアーマーとの契約時に語った自身の生い立ちや契約した理由について、彼のストーリーを自身の言葉でお届けしようと思います。 

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ある日、人生が変わった

16歳の時、僕は痩せっぽちでぶかぶかの半袖シャツを着ており、ファッションセンスもゼロ。母親から早く帰って宿題をするよう言われていたので、毎日バレーボールの練習からダッシュで帰宅していました。

ある日を境に、僕の人生は大きく変わりました。背が高かったこともあり、あるコーチに声をかけられ、NBAのキャンプに招待されたのです。当時、バスケットボールをちゃんとプレーしたことはありませんでした。母親が買い物に行っている間に家を抜け出して、公園で少し遊ぶ程度。キャンプは次の日から始まると告げられました。まさに一生に一度のチャンス。自分を信じてこのキャンプに参加すれば、必ずNBAに行けると本気で信じていました。これが運命だと。

なんてね、冗談です。自信なんて1ミリもありませんでした。見知らぬコーチがいきなり話しかけてきて、「キャンプに参加すればアメリカに行ける」と訳の分からないことを言うのです。「アメリカ? お言葉ですが、ドリブルすらまともにできないのですが…」と目で訴えながら、コーチの話を聞いているだけでした。キャンプに参加して恥をかくのが怖い。だからキャンプに行かなかったのです。母親は家を留守にしており、父親は仕事。当時は携帯なんてなかったので、誰にも見つかることはありませんでした。千載一遇のチャンスだというのに、家で弟のアーサーと一日中ゲームをしていました。

アーサーは母親のお気に入りで、何をしても許されましたが、僕には厳しかった。母親の留守をいいことに、宿題を放ったらかして普段できないゲームを思う存分プレーしました。NBAへの夢が幻となっていく中、急に父親が帰宅しました。私がキャンプに現れなかったので、コーチが父親に連絡をしたのです。父親は軍人です。ただの軍人ではなく、絵に描いたような典型的な将校です。声を荒げなくても、目を見れば背筋がピンと伸びる威厳があふれていました。

父親に知られた以上、僕には次の日にキャンプに行って恥をかくという選択肢しかありませんでした。それでも、コーチ陣は僕が来ないのではないかと思い、家まで迎えに来てキャンプへ連行していきました。僕はひたすら「悲惨な結果が目に見えているのに、なぜみんなはこんなに自分を気にかけるのだろう」と道中で考えていました。

キャンプでは初日にダンクを決めました。マイケル・ジョーダンみたいに華麗に宙を舞ったわけではないですが、相手を飛び越えて、ほとんど跳ばずに決めました。そしたらみんなが「やばっ!」みたいな雰囲気になって。まさか、この日で人生が変わるなんて思ってもいませんでした。心のどこかではまだ家に閉じこもってゲームをしていたかったのです。キャンプで注目を浴びたおかげで、南アフリカで開催されるバスケットボールの大会に招待されました。ここでもスカウトの目に留まり、アメリカの高校に進学してプレーすることになったのです。一瞬の出来事でした。数カ月ですべてが進み、カメルーンを出発してフィラデルフィア・セブンティシクサーズにたどり着くまでの期間は3年。両親やコーチたちが僕を信じていなければ、きっと未だに家で弟とゲームをしていたでしょう。一人では決してこの夢を叶えることはできませんでした。カメルーンを離れて3年。一度も戻ってくることができないほど、あっという間に時は過ぎました。 

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自慢の弟

どんなことが自分の身に起こっても、家族はまったく動揺しませんでした。名門のカンザス大に進学した時も、NBAのセブンティシクサーズにドラフトされた時も、大騒ぎはしませんでした。両親は僕を医者にしたがっていたのです。もちろん、NBA入りを誇りに思ってくれましたが、それ以上でもそれ以下でもありません。一番喜んではしゃいでくれたのは、弟のアーサーでした。僕を追いかけるようにバスケをプレーして、アメリカに行くのを夢見ていました。

僕たちは恵まれた環境で育ちました。決して裕福ではなかったけれど、必要なものは手に入りました。僕たちの周りはそうではありませんでしたが。一文無しの子どもたちも、少なくありませんでした。アメリカから家に連絡をしていたころ、よく父親がアーサーの話をしました。家にある物を、困っている近所の子どもたちに分け与えているのだと。食料や服など、みんなが必要としているものをあげていました。弟の感覚では、ただ分け合っているという意識だったのです。たった13歳ですよ? 普通だったら誰が一番強いとかカッコつける歳ですが、弟は違いました。弟はみんなが普通に暮らせるようにしたかったのです。本当に、自慢の弟でした。弟も僕のことを同じように思ってくれていました。

弟は、この地球にはもったいない存在だったのかもしれません。僕がドラフトされた数カ月後に、彼は交通事故でこの世を去りました。それから、僕の人生は変わりました。長い間離ればなれだったこともあり、とてつもなく辛い時期でした。弟の死後、自分自身に言い聞かせました。自分の人生は、バスケットボール以上の意味を持たなければならないと。僕はチャンスをもらってアメリカに来てNBAで様々な経験をしていました。しかし、実際に他人の人生を変えていたのは弟でした。アンダーアーマーと話をした際に最初に伝えたのは、僕たちの関係はただの物品契約ではなく、バスケットボール以上の意味を持つ必要があるということです。僕は人々の人生を変えたい。

この夏にアフリカへと戻った時、近所の子どもたちが憧れの眼差しで自分を見ていました。7年前は自分が逆の立場だったと思うと、不思議な感覚でした。中には苦しみを抱えている子どもたちも少なくありませんでした。みんなの目を見れば、痛みや悲しみが伝わってくるのです。生きることがどれだけ大変なことか。忘れもしません。ある孤児院を訪ねた時、隅にいたひとりの子が僕のことを見ていました。ジッと、一言もしゃべらずに。急に駆け寄ってきて、僕に抱きついたのです。まるで親子みたいに大きなハグで。最高の瞬間でした。この子たちは何も持っていないかもしれません。でも愛に満ちあふれていて、計り知れない可能性を秘めています。 

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バスケットボール以上の意味

アフリカからアメリカに来ると、すべてが完璧であると期待してしまいます。みんなが穏やかに暮らしていると。しかし、フィラデルフィアで見た現実は違いました。貧困や苦しみはここにもありました。僕がけがや痛みに悩まされている時も、ずっと力をくれました。けがで2年ぶりに戻って来たとき、正直、ブーイングの嵐を受けると思っていました。アリーナから追い出されるのではないかと。しかし、ブーイングは一つも起きませんでした。そして、初得点した時の大歓声は、本当に力になりました。フィラデルフィアについては悪く言われることもありますが、この町は初日から僕を迎え入れてくれました。いや、初日は言い過ぎかも、2日目からでしょうか。みんな僕の復帰に向けたプロセスを信じて、支えてくれました。今度は僕がみんなを支えられるように全力を尽くします。

バスケットボールは自分にすべてを与えてくれました。しかし、バスケットボールにはそれ以上の意味がなければなりません。繰り返しになりますが、それがアンダーアーマーへ最初に伝えたことです。それに対して彼らは100%、サポートの意志を示してくれました。だから、これはただのシューズ契約ではありません。アンダーアーマーと一緒にでっかいことをやっていく予定です。まずはフィラデルフィアから始めていきます。フィラデルフィアのコミュニティ、そして世界中に向けてサプライズを計画中です。共に歩む仲間は揃いました。これからこのパートナーシップを通して、バスケットボール以上のことをしていきます。本当に意味のあることをしたいのです。弟が誇りに思ってくれるようなことを。 



エンビード選手は、家族の死や度重なるけがを乗り越えて、現在の活躍があります。私たちはエンビード選手のストーリーに共感し、彼もまたアンダーアーマーの理念に共鳴して契約に至りました。取り組みはまだ始まったばかりです。本人も言っている通り、これからエンビード選手とアンダーアーマーは、アスリートを勇気づけるような”でっかいこと”をやっていきます。

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